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日帰り路線バスの旅2・貝塚市水間寺、泉佐野市犬鳴山パート2 [旅行・観光・鉄道・バス]

白いネコ.jpg前回の続きです。

水間公園で休憩中に写真の白猫が近づいてきました。少し距離を取ったところで座っては私を見ていました。手をたたくとニャーと鳴きましたからひょっとしたら私がエサをくれると思ったのかもしれません。しかし残念ながらおにぎりを食べ終わった後なので何もあげることはできませんでした。
12時半まで公園で休憩してから旧の170号線を1キロちょっと南下して熊取町に入り小谷(おだに)というバス停まで歩くことにしています。ちょうど緑バスに乗っていた時熊取町時総合体育館ひまわりドームが見えていました。水間からは意外と近いところに熊取町はあります。
実をいうと私はこのバス旅行直前まで小谷のバス停はてっきり泉佐野市内にあるもんだと決め込んでいました。早い話、熊取町の存在をすっかり私は忘れていました。どうして忘れていたかというと、私が泉州地域に出かけるとどうしても海側が中心になります。つまり山側の熊取町とは縁がありませんでした。あるとすればJR阪和線で通る時だけです。たぶん今回初めて私は熊取町に足を踏み入れたことになります。堺市に長年住んでいて少々バツの悪い話です。

12時半になると私はネコにお別れの挨拶をして公園を出ることにしました。芝生の広場の反対側の木陰で幼稚園か保育所の遠足かどうかわかりませんが多数の児童を連れたおかあさんたちの団体がお弁当を食べていました。別の一画では公園の係員が休憩をとっていました。聞こえてきた話によると夏休み前に公園の整備をしているそうです。公園には噴水等がありますがそれもきれいにして子供たちが水遊びできるようにするそうです。私はその話を聞いて少々貝塚市のことを感心してしまいました。

今私は、小谷バス停に向かって歩いていますが実は自分にとって知りたいと思っていたことを知る機会があったのに見逃してしまいました。先にも書きましたが私は今回の旅行直前まで熊取町のことをすっかり忘れていました。出発前にはその事に気付いて熊取町のホームページを見ましたが正直言って観光案内まで見ませんでした。それが失敗の元でした。
小谷バス停の近くに「小谷の文政おかげ灯籠」というものがあります。
私は以前から、江戸時代における泉州地域のおかげ参り、いわゆる伊勢詣でについて知りたいと思っていました。その動機は南海バスのバス停に「伊勢道」というところがあります。南海バスは、戦後すぐに開設した路線については当時の地名をそのまま使っていました。現在では地名は無くなってしまっても南海バスのバス停の名前が昔その辺りがそういう地名だったことを教えてくれます。


伊勢道の名前の由来は、府道36号線線の南側に南河内から泉州を結ぶ1本の細い道があり、その道を通称伊勢道と呼んでいたのが地名の起源になったようです。戦後堺市とその周辺町村との合併で地名は消えてしまいましたがバス停のみ当時ここが伊勢道という地名だったいうことを教えてくれます。
伊勢道と呼ばれる道の東の端は、日本史で知られている竹ノ内街道と連絡し、西の端は熊野街道あるいは紀州街道と連絡していました。当時岸和田以北に住んでいた人達はこの道を通って伊勢詣でに向かったようです。と同時に泉州と南河内を結ぶ道だったことから物資を運ぶ重要な道だったかもしれません。しかし残念ながら街道としては認知されなかったようです。大阪・堺を起点に和歌山や奈良へ向かう道には、熊野街道や西高野街道、竹ノ内街道や奈良街道などの名前が付けられていますが大阪を無視する形の伊勢道は街道ではなくただの道だったようです。
「小谷の文政おかげ灯籠」は当時泉州でのおかげ参りが流行していたことを示す文化財のようです。多分熊取町や泉佐野市あたりの人達は旧の170号線を使って河内長野へ出て、河内長野からは東高野海道をつかって富田林か喜志あたりを経由して竹ノ内街道まで出て奈良から伊勢に向かったと思われます。貝塚市あたりからは水間まで出て河内長野へ向かったかもしれません。(余談になりますが貝塚市の中に海塚という地名があるのを御存知ですか?)
おかげ参りは、江戸からの話はよく取り上げられますが、泉州あたりの話は残念ながらまったくと言っていいほど残っていません。当時は伊勢参りが一大ブームだったようですから伊勢道や旧の170号線には伊勢に行く人がいっぱい通ったかもしれません。そして西高野街道や富田林街道との交点では人が集まり物資が集まって町が栄えたことでしょう。ようやくその片鱗の一部について知ることができたのに私はこの時それを知らずのんきに旧の170号線を小谷に向かって歩いていたのです。

小谷バス停そばのコンビニでペットボトルのお茶を買ったりしていたらバス停に着いた時は、12時45分でした。次のバスの発車時刻は12時48分、ギリギリセーフかなと思っていたらバスは5分以上も遅れて到着しました。しかし今日は暑い!。梅雨の晴れ間ということで日差しは強く、日中歩くには適していない日でした。おまけに小谷バス停周辺は日陰になる場所がなく、焼けるような日差しの中、バスが到着するのを待ちました。こういう時の5分って長く感じますよね。バスが到着して車内に入った時はクーラーが効いていてホッとしました。
5分遅れで到着したバスはJR阪和線の熊取駅行です。私のほか2名の乗客を乗せて旧の170号線を走り始めました。途中いくつかのバス停に停まりましたが人の乗り降りは僅かでした。
町中に入っていくと道幅が段々と狭くなってきました。対向車が来るとバスはスピードを落としゆっくりと対向車とすれ違います。しばらくすると茅葺屋根の立派な屋敷が見えてきました。
熊取町のホームページを見ると「重要文化財中家住宅」という建物だそうです。バスの中から外を見ていると昔ながらの町並みがまだ多く残っているように思われました。少しは熊取町で散策する時間を確保すべきだったようです。やはり熊取町のホームページをしっかりと見とくべきでした。今としては後悔しきりと言ったとこでしょうか・・・・。
熊取駅前に到着したのは13時5分を回っていました。
JR熊取駅は、熊取町の玄関駅に当たります。駅の一画には、観光案内があり熊取町を紹介しています。もっとも私は小谷から熊取町に入ったので裏口からそっと入ったということでしょうか。
次に乗るバスは、熊取駅前発13時10分発南海本線泉佐野行です。余談になりますが熊取駅前からは和歌山バスの粉河駅前(JR和歌山線)行特急バスが運行されています。このバスは途中犬鳴山に停まりますが、平日は毎時05分に熊取駅前を発車しますが、13時台と15時台にバスの運行がありません。(ただし土日祝日は運行されています。)仮に今私が乗ってきたバスが定刻の13時1分に着いたとしても平日は乗れなくて土日祝日なら乗れたということです。正直言って今回のバス旅行は平日に行うか土日休日に行うかによって時間の節約にかなりの差が出たことは確かです。
熊取駅前発13時10分発泉佐野行バスに乗り込み私は南海本線泉佐野駅に向かいました。最初の予定では、泉佐野駅前のひとつ手前の上町1丁目というバス停で降りてできたばかりのCO-OP泉佐野店に入って時間を潰すつもりでいました。ネットで調べたところイートインコーナーがあるということなので暑さをしのぐにはもってこいのところとだと考えていたからです。しかし私は、終点の泉佐野駅前行くことにしました。やはり泉佐野駅に敬意払うのが本筋かと思ったからです。そして泉佐野駅前バス停に到着した時、ちょっとした感動を覚えました。本当に堺市内からバスだけ乗り継いで泉佐野まで到達できることを初めて知ったからです。もっとも地元の人から見れば「何アホなことしてんねん。」と言われそうですが。

次の犬鳴山行のバスの発車時刻は13時48分です。まだ30分近く時間があったので泉佐野駅高架下の100円ショップに入って時間を潰すことにしました。こういう時の30分はやたら長く感じます。
結局買うものもなく、バス停に戻り10分程暑い中待っているとバスがやってきました。中に入るとクーラーが効いていてひんやりとしていました。
13時48分、定刻にバスは出発しました。
JR日根野駅は、関西空港へ向かう路線が分岐するところですが、駅の南側にある踏切に到達する前から道幅が狭くなりやはり対向車がやってくると運転手はバスをギリギリいっぱい左端に寄せてゆっくりとすれ違っていきました。犬鳴山方面には2車線の新しい府道26号線もあるのですがバスは昔ながらの道をゆっくりと走っていきました。
阪和道を潜り抜けると里山の風景が見えてきます。田植えは終わっており一面緑色の田んぼの中に集落が点在していました。大阪ではめずらしい里山の風景がここでは見ることができます。

バスは、ほぼ定刻に犬鳴山に着いたと思います。犬鳴山参道.jpg参道の入り口からは温泉旅館や土産物店、飲食店が並んでいます。少し行くと犬鳴川に架かる橋の上に出ました。川を覗き込むと大きな川魚が泳いでいました。多分鮎ではないと思いますが上から見ている限り魚の種類はわかりませんでした。
私は、犬鳴山に過去2回ほど訪れたことがあります。それでも30年以上昔のことだったと思います。昔から温泉があるのは知っていましたが、別に入りたいとは思いませんでした。あんまり大きな声では言えませんが、見た目きれいな旅館はなかったように思います。犬鳴温泉センターに関しては今でも昔のままです。
転機が訪れたのはやはり関西国際空港が開港してからだと思います。旅館によっては建物を改装新装して犬鳴温泉をアピールしていました。地元エリアではテレビCMも流していました。サービスとしては関空までの無料送迎もしています。一泊して翌日関空から外国に出かけたりあるいは逆に帰国した時宿泊するのにいいかもしれません。一泊二食付きで割とリーズナブルなお値段で宿泊できるようです。旅館によっては日帰り入浴もできます。泉質は純重曹泉です。

犬鳴山参道3.jpg犬鳴山参道5.jpg犬鳴山参道4.jpg 犬鳴山の由来について簡単に説明します。昔、猟師が鹿を狙っていると猟師の背後から猟師を狙って大蛇がそっと近寄って来ました。それに気付いた猟犬が自分の主人に危険を知らせるために吠えまくりました。しかし猟師が狙っていた鹿は犬の鳴声を聞くと逃げてしまいました。立腹した猟師は刃物でその猟犬の首を刎ねてしまいました。ところが刎ねられた首は一直線に大蛇に飛んでいき、その大蛇に噛みついて倒してしまいました。事情を察知した猟師は、自分の愚かさに気付き、自分の命を助けてくれた犬の供養をするために仏門に入ったということです。そしてその話を時の天皇が聞き、このあたり一帯を犬鳴山と名付けよという勅命が下り犬鳴山の地名が生まれたようです。(詳しく知りたい方は、ネットで調べてください。)

私は今犬鳴山七宝滝寺に向かって歩いているのですが、先にも書きましたが私がここへ訪れるのは約30年振り、当時は楽に七宝滝寺へ行けたような気がしたんですが、今歩いている参道はどう見ても川に沿った山道を歩いている感じです。ある意味登山です。歩くたびに汗は流れだし心臓はドキドキしています。「こんな道だったかなあ」と思いつつとにかく最後まで歩こうと決心しました。もし途中で倒れたら誰か助けてくれるのかな・・。考えてみれば犬鳴山は修験者の道場です。道が険しいのは当たり前といえば当たり前ですが。
犬鳴山参道7.jpg山門を通ると犬鳴山の域内にはいります。なんとなくこのあたり夜になると出そうな気がしますが。ようやく七宝滝寺近くまで来ると川原の方に駐車場が見えます。大回りにはなりますが犬鳴山バス停手前に橋があり、そこからこの駐車場までくるまで来ることができます。なんとなく駐車場を見た途端損した気分になったのは私だけでしょうか。
とにかく着いたのはいいのですが、汗がしたたり落ちて止まりません。日頃の運動不足も手伝ってもうクタクタです。おかげで七宝滝寺の写真を撮るのを忘れてしまいました。寺の中を通り滝行へ渡る橋の袂まで来ましたがそこから先は入れません。しかし落ちてくる水の勢いは半端じゃありませんでした。この数日間に降った雨のために落ちてくる水量が増えているようです。
ここまで来ると後は引き返すだけです。今来た道を下っていかなくてはなりません。登りより下りの方が本当は大変なんですけどね。
下っている途中で若者たちが滝壺に飛び込んで遊んでいました。参道で数人の女性がそれを見ていて飛び込むごとに拍手を送っていました。私のちょっとだけ見ていましたが、本当は自分が飛び込んだらどれだけ気持ちいいだろうと全身汗でびしょびしょの体でそう思っていました。
初めは下山してから温泉に入って帰ろうかと考えてタオルとバスタオルは鞄の中に入れていたのですが、ここまで汗を掻くと下着だけでなく上着も用意してこないと無理だと考えて辞めることにしました。温泉に入るのは次回ということにしました。

この後、バスに乗り日根野駅前で降りて日根野から電車で和泉府中まで出ました。途中下校時だったので小学生たちがバスに乗り込んできましたが降りるところがみんなバラバラで日根野駅前で降りずにそのままバスに乗り続けている小学生もいました。泉佐野市って校区が無いんでしょうか。
和泉府中からはバスで光明池駅まで行き、その後は邪魔くさくなったので電車に乗って帰りました。

今回で一応バス旅行は終わりです。
9月以降に和歌山バスに乗ってJR橋本駅から南海和歌山市駅まで途中下車しながら旅行したいと思っています。和歌山市内では有名になった和歌山ラーメンを食べてみたいと思っています。まだ食べたことがないので。
それ以外にバス旅行というほどでもないのですが、阪急バスに乗り梅田から箕面まで行ってみたいと思っています。梅田から直行バスが平日6便運行されています。運賃はなんと270円乗車時間は約1時間半です。ちなみに電車で箕面まで行くと260円かかります。

これを読んでいただいた皆様、試にバスに乗り継いで旅行してみませんか。意外と新鮮な発見があるかもしれませんよ。


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