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出鱈目経済学の2015年度の経済 二  経済史 [出鱈目経済学]

二回目のお話は経済史についてです。2015年とは関係ないようなあるようなそんな話です。

経済史とは言うまでもなく経済についての歴史です。頭に日本と付けば日本経済史、アメリカと付けばアメリカ経済史と言うことになります。しかしながら世界史はあるのに世界経済史とは言わないような気がします。

学校で習うのはどちらかと言うと政治史が中心になります。本来政治史と経済史は、表裏一体の関係にあり、政治史を理解するにはある程度経済史も知らないといけない、と言うのが私の持論です。しかしながら学校で教わるには時間的制約があるのでどうしても政治史オンリーになるのが実情でしょう。ならば大学ならどうかということになりますが、専門的に経済史を教えている大学ってどれだけあるのでしょうか。あんまりそんな学部があるとは聞いた記憶がありません。

かなり古い話になりますが、テレビである番組を見た時の話です。番組の中で、アメリカ人の経済学者達が、しきりに日本のある地名を連呼していました。

私は、その地名を聞くたびに段々と腹が立ってきました。別にアメリカ人の経済学者達に腹を立てているのではなく、その地名を聞くたびに自分が情けなくなってくるからです。

その地名と言うのが

 堂島

大阪北区にある地名です。ひょっとすると堂島ロールというスイーツの名前で地名を知っている方もおられると思いますが。

江戸時代、堂島で行われていたのは、コメの先物取引、今でいうところの商品先物取引に当たります。

この先物取引を考案した人物、(残念ながら私は名前を知りませんが、浪速商人であることには間違いないでしょう。)もし江戸時代にノーベル賞があったならば間違いなく日本人初のノーベル経済学賞を受賞したことでしょう。

とにかくそれだけ世界に影響を与えた取引を生み出したのですから。

アメリカで導入された先物取引のルールは、堂島で行われていたルールをそのままコピーして使っていました。時代と共にルールの方は変わっていきますが、基本的なことは、堂島ルールをそのまま引き継いで今に至っています。

しかし私は、欧米の学者たちに感心します。よくもまあ江戸時代、それも八代将軍吉宗あたりの日本経済をよく調べていることにです。日本人の私以上に詳しいのだからやはり腹立ちます。(一応、経済学部卒なんですけどね。)

とにかく欧米人たちは、日本経済を昔から研究していたようです。

「資本論」を著したマルクスもその著書の中で短く当時の日本経済について触れています。マルクス自身、日本を訪問したことはなさそうなので、誰かが書いた著書を参考にしたと考えるのが妥当だと思います。結局自国の経済史を知らぬは日本人だけという情けない状況がひょっとするといまだに続いているという気がします。

しかし、当時の米の先物相場にまつわる話は、経済以外にも色々なものを生みました。

IT(インフォメーション・テクノロジー)もです。今日、脚光を浴びているITでさえ、当時において考えられる最高の技術を使ってITを構築していました。今日、我々が使っているIT技術は、その発展形でしかないのです。進歩したように見えても江戸時代に発明された方法を現在テクノロジーに置き換えて利用しているのが実情です。

皆さんどうですか、情けなくなりませんか?自分たちの御先祖様たちが発明した市場システムをきっちりと理解していないことに。逆に欧米人たちは、日本経済史を丹念に研究し、その成果を現在の市場に活かして利益を上げているのですから。

もう一つおまけの話です。

外国為替市場誕生にまつわる話です。外国為替市場が誕生する経緯に日本が少しだけ関与している話です。

杉原千畝という人物を皆さんはご存知ですか。ナチスの迫害に逃れてきたユダヤ人たちに、外務省の命令に違反して日本の通過ビザを大量に発給した領事です。かれの功績により約6千人のユダヤ人たちがナチスの迫害から逃れることができました。余談になりますが、当時ソ連から満州へ避難してくるユダヤ難民を保護して日本へ渡航できるようにしたのが日本陸軍でした。ナチスは、その状況を苦々しく見ていたようで、当時満州に展開していた陸軍の司令官に難民ユダヤ人たちの引き渡しを要求したそうです。しかしながら当時の司令官はこの要求をきっぱりと拒否しました。これにより難民ユダヤ人たちの安全が日本渡航まで確保されることになりました。ナチスの要求を拒否した人物こそなんとあの東条英機だったそうです。

余談になりますが、当時の日本人の中には、ナチスに批判的な人が結構いたようです。それが後にイタリアを含めナチスドイツと三国同盟を結ぶことになるのですから歴史と言うものは皮肉ですよね。

さて話を戻しますが、このユダヤ難民の中に一人の青年がいました。彼は新しい国に入国するたびに通貨が変わっていくこと(両替)に大きな関心を持ちました。そしてその後、彼は、為替市場を設立することになります。もし杉原千畝が日本通過ビザを発給しなかったら為替市場の設立は大きく遅れることになったことでしょう。

話としてはこれで終わりです。

しかし、江戸時代を含めすべての時代の日本経済についてもっと研究する必要があると思います。千年以上続いた会社が日本にはありますが、どうして今まで生き延びてきたのか興味が沸きませんか?残念ながら政治史だけでは説明できないことが日本には多くあるようです。あるいは経済史だけでも説明できないことも多々あるような気がします。

この先、日本経済をよくするには温故知新ではありませんが、昔の日本経済をもっとよく知るべきかもしれません。よく言われることですが外国かぶれの経済学者たちの発言よりも先人たちが築いてきた経済のよし悪しを知ることによりこの先の日本経済の発展があるように思います。


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