SSブログ

道路整備費(メンテナンス費用)削減反対 [出鱈目経済学]

どうも日本人は、想像力に欠乏しているというか、一度道路とか鉄道を建設すると今度はそれをより良いものに改善しようとする気がないように思えます。
「北陸新幹線(大阪・名古屋-福井・金沢間)建設計画私案」のところでも書きましたが、東海道新幹線名古屋-京都間を最短ルートに切り替えて既存線を北陸新幹線用に使うことを考えました。これは東海道新幹線が敷設された時、コストおよび時間的な問題で名古屋-京都間を最短距離で建設できなっかたことから東海道新幹線の改善策を考慮しつつ既存線を北陸新幹線用に転用しようというものです。仮に最短ルートを建設して、名古屋-新大阪間を150キロ程度の距離にしてそこを300キロの新幹線を走らせれば名古屋-新大阪間を約30分で結ぶことが可能になります。それ以外にも東京-名古屋間も部分的に改修して速度アップを図ればひょっとすると東京-新大阪間を2時間ジャストで走らせることが可能になるかもしれません。これにより東海道新幹線の輸送力が増し、結果羽田-伊丹間の航空機の運航本数がいっきに半減するかもしれません。リニヤ新幹線の開通を待つよりもこっちの方がより現実的だと思うのですが。府知事どうでしょうか?

本題の道路に関しても同じことが言えると思います。
日本の道路行政の始まりは、第2次大戦後アメリカの日本経済復興委員のひとりが言った言葉から始まっています。

「日本には道はあるが道路がない」と。

道とは昔ながらの街道のことです。東海道、中山道、私の家の近く高野街道、竹ノ内海道などなどです。街道は人が歩くことを前提としています。道幅も狭いし舗装もされていません。荷物を運ぶにしても牛や馬が荷車を引っ張るだけが精いっぱいというものです。ですから明治期日本に鉄道が導入されると街道交通が鉄道に太刀打ち出来ずすぐに衰退することになります。戦前、鉄道が交通の主役でいられたのは日本に本格的な道路がなかったからです。
戦後、政府は提言に従って道路整備を始めます。
初めは街道に沿って2車線の道路を敷設していきました。もちろん車道だけで歩道はなし。舗装も今のようなアスファルトではなくコンクリート舗装でした。交通量が増え、事故防止観点から歩道も造られるようになりましたが、どちらかというと車道に対する添えもの、あるいは車道と道路に接している土地との緩衝剤的役割をはたしていて本来の歩道の機能を果たしているとは言えないのが現実です。いい例が歩道のど真中に電柱が立っていることもあります。幅の狭い歩道ならば一度車道側に降りて電柱を避けなくてはいけません。これでは歩道の価値がないことは明らかだと思います。それ以外のも車道とそれに接している土地との高低差を歩道で調整しようとして車道側に大きく傾斜をつけている歩道もあります。おまけに段差はの数は車道とは比べ物にならないくらいにあります。
今回メンテナンス費用の削減が盛り込まれたために車道のみのメンテナスだけが行われるようになり今でもメンテナンスされることが少ない歩道がますますメンテナンスされなくなってしまうことは間違いないことでしょう。しかしそれでは困るのです。
高齢化社会という言葉が使われるようになったのはいつ頃からかしりませんが、しかし確実に高齢化社会はやってきます。やってくる前に高齢化社会に対応した社会を今から造っておく必要性があるということです。ところが初めの話になりますが日本人、とりわけ政治家たちは与野党含めて鈍感と言わなければいけないでしょう。今回は歩道だけに限定していますがそれ以外にも準備しておかなければいけない政策が結構あるかもしれません。
たとえば十数年後には車椅子で生活する人は百万人から二百万人増えるといわれています。たとえ車椅子を使わない人でも歩くのに難がある人の数も同じように増えるとみるべきです。つまりそのような人が安全に生活できるようにするためには安全に移動ができるようにしておく必要性があるということです。
日本の歩道は都市の中心部、つまり人の多いところではそれなりの形はできていますが、一歩郊外に出れば問題の多い歩道があちこちにゴロゴロと存在しています。最初に挙げた例のように歩道の真ん中に電柱があれば車椅子は車道を通らなくてはなりません。これでは人命を常に危険にさらしていることになります。つまり今から歩道の危険性の排除のためにメンテナンス費用は削減するべきではないのです。
昔、NHK教育放送で車椅子が安全に歩道を通れるようにするための提言番組を放送したことがありますが、残念ながら現状ではその提言を無視しているとしか言いようのない状態が続いています。つまり誰もその提言に関して実践してみようという気がないと言った方がいいのかもしれません。
例えば車椅子の幅は種類によっても違いますがおおよそ65cmあります。もし2台車椅子がすれ違うとするとその倍の130cm以上ないとすれ違いさえできなくなります。おまけに車椅子は段差に弱いですから段差のある歩道では乗っている人を振り落す危険さえあります。つまりこのような危険を一つ一つ解決していこうとすればそれなりの費用が掛かるということです。実際の話、近所に住んでいるおばあさんは歩くのに少々不安があるために、わずか400㍍ほど離れたスーパーに買い物に出かける時、わざわざタクシーを呼んでスーパーまで行くそうです。この無駄な費用は歩道の安全を確保できないために出す費用です。年金生活者にとっては頭の痛い費用かもしれません。
ではいったい歩道の安全性を確保するためにはどれだけの費用がかかるのか想像がつきませんが、多分数兆円規模、あるいは十数兆円規模になることには間違いないでしょう。それを考えれば今から少しずつ準備するしか手はないのです。
長くなりましたが道路改修には十年先、あるいは二十年先を見通して行う必要性があります。しかし問題なのはそれを担当する人たちが本当に十年先、あるいは二十年先の未来を想像ができるかにかかっていると思います。
しかし問題は日本人にそれを予測できる能力があるかどうかにかかっていると言ってもいいかもしれません。


nice!(0)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 0

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。