SSブログ

「坂の上の雲」、登場人物からの連想 [雑感]

「坂の上の雲」は作家司馬遼太郎の代表作のひとつです。

ただし、ここでは本の内容に関係なく単なる私が頭に思い浮かべた話を書きます。

主人公のひとり、秋山真之は、伊予松山の生まれ。もう一人の主人公幼馴染で親友の正岡子規とふたりで東京の大学予備門で肩を並べて大学入試のために勉強に励むことになります。

大学予備門で出会ったのが、夏目漱石、子規とはすぐに仲良くなったようですが真之とはそんなに仲良くならなかったようです。でもお互い知人同士であることには違いありません。

漱石の門下に芥川龍之介、内田百閒などがいました。ちなみにこのふたりは親友同士だったそうです。

斎藤茂吉は、詩人であると同時に医師でした。芥川は彼の処方した睡眠薬を多量に飲んで自殺します。

斎藤茂吉は先日亡くなられた「ドクトルまんぼう」こと北杜夫氏のお父さんになります。

北杜夫といえば、仲のいい友達として遠藤周作氏、佐藤愛子氏のふたりがおられます。

北杜夫に現在の住まいの地を紹介したのがお隣さんで鉄道作家で有名な宮脇俊二氏です。

そういえば、阿川弘之氏はドクトルまんぼう氏と狐狸庵先生を引き連れてよく旅行していたようです。

阿川佐和子さんは阿川弘之氏のお嬢さんですね。

秋山好古は真之の兄で陸軍騎兵の生みの親です。陸軍というと軍医に森鴎外がいました。残念ながら好古が鴎外と面識があったかどうかはわかりませんが、同じ陸軍同士、面識があったとしても不思議ではないでしょう。

漱石の門下、日本の鉄道文学の祖内田百閒は、ドイツ語の先生でもありました。陸軍学校で教師をしていた時の校長が秋山好古でした。

好古自身、百閒先生の師匠である漱石と面識があったかどうかわかりませんが、弟の真之と同窓だったことを考えると学生時代の漱石と会っているかもしれません。

秋山真之は、正岡子規の影響もあって、一時期文学を目指そうとしていましたが結局兄の好古の影響もあって海軍に入ることになり日露戦争時、海軍参謀として参加し、日本海海戦(世界史的には対馬海戦といいます)で作戦を立案し勝利に大きく貢献しました。

もし真之が、文学の世界で身を立てていて、兄貴の好古もそのまま教員を続けていたならば日露戦争はいったいどうなっていたでしょうか?

「坂の上の雲」の後書きに著者の司馬遼太郎は下記のように書いています。

「当時の平均的な日本人がその穴を埋めたのではないか。」と。

私もそう思います。

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

坂の上の雲〈1〉 (文春文庫)

  • 作者: 司馬 遼太郎
  • 出版社/メーカー: 文藝春秋
  • 発売日: 1999/01
  • メディア: 文庫

 

 


nice!(1)  コメント(0)  トラックバック(0) 
共通テーマ:日記・雑感

nice! 1

コメント 0

コメントを書く

お名前:
URL:
コメント:
画像認証:
下の画像に表示されている文字を入力してください。

トラックバック 0

この広告は前回の更新から一定期間経過したブログに表示されています。更新すると自動で解除されます。