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南海鉄道案内 -手持ちの本から- [旅行・観光・鉄道・バス]

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南海鉄道案内は、日本最古の民鉄である南海電鉄(当時は南海鉄道)が明治32年に発刊した沿線ガイドブックです。と同時に民鉄の沿線ガイドブックとしては日本で最初のものになります。

著者の宇田川文海は、当時の関西文壇では名の知れた人でした。

南海鉄道案内は上下2巻を一冊とし発刊されました。上巻は主に大阪府内を下巻は和歌山市周辺を取り上げています。

 

 

 

 

 

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上巻の表紙
後ろに見えるのが住吉にある高灯篭、当時はこの高灯篭まで海が迫っていました。海を渡って住吉神社への参拝に来る客たちは舟をこの高灯篭脇に停めて参拝に赴いたそうです。

小さな子供がササを持っていますよね。この親子(?)は今宮戎(えべっさん)へ参拝した帰りかもしれませんね。

 

 

 

 

 

 

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口絵の美人図
浜寺公園の松並木をバックに書かれている美人図です。
浜寺公園は明治以後開発された公園です。
白砂青松という言葉は、まさしく当時の浜寺公園のためにあった言葉と言っていいと思います。
景勝地ということもあり、夏目漱石や内田百閒などの文豪たちがここを訪れています。

 

 

 

 

 

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南海鉄道路線図
明治31年10月に和歌山北口(現:紀ノ川駅あたり)まで開通、乗客たちは紀ノ川を舟もしくは橋を使って渡り和歌山市までたどり着いていました。(記憶があいまいで申し訳ないのですが、たぶん橋を渡って和歌山市までたどり着いていたと思います。もし間違っていたらごめんなさい。)
尚、著者が取材した当時は、まだ和歌山北口まで開通しておらず、大阪府内最後の駅深日から海岸線にそって谷川(多奈川)から和歌山市加太を通って和歌山市まで至っています。

路線図を見ると、南海鉄道に沿って細い線がありますが、多分この線は紀州街道を表していると思います。

 

 

 

 

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南海鉄道案内には当時としては珍しかったと思われる写真が数多く使われています。そのおかげで当時の大阪や和歌山の風景を知ることができます。
この写真は、当時の道頓堀界隈を写したものです。現在と同じで当時も多くの人で賑わっていました。
余談になりますが、この当時噺家で扇屋三馬(さんま)という人がいたそうです。現在活躍中の明石家さんまさんは「さんま」の名前だけで考えると「二代目さんま」(?)ということになるのかもしれませんね。

 

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この写真は、堺市にある百舌鳥八幡宮の境内を写したものです。
先生が生徒を引き連れて見学に来ている様子が映っています。社会見学でしょうか?
当時の子供たちの様子がわかる1枚となっています。

 

 

 

 

 

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現在のガイドブックと同じように南海鉄道案内には数多くの広告が掲載されています。
特徴的なことは、堺市に本拠をおく会社や店の広告の量が多いということです。
右側の耳卯楼は、現在「うどんすき」で有名な美々卯の前身になります。耳卯楼は200年以上も続く名料亭の老舗で、現在の美々卯堺店の場所にありました。

 

 

 

 

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同じ広告でもこちらの広告は、少々物騒な広告ですね。
当時は割と簡単に銃やライフルが手に入ったようですね。

 

 

 

 

 

 

 

 

 

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大浜公園は、浜寺公園と並ぶ2大観光スポットの一つでした。海岸近くまで旅館や料亭が並び、観光客に潮湯や沖で獲れた新鮮な魚を提供していました。
のちに水族館や少女歌劇等の観光施設もできますが、この当時は沖に舟を浮かべて月見などをたのしんだようです。

 

 

 

 

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当時の堺市の主要生産物の中に清酒がありました。南海鉄道案内でも多くの広告が蔵元によって掲載されています。当時は神戸の灘より有名だったそうですが現在ではすべての蔵元が無くなってしまいました。耳卯楼の隣の広告の醤油も製造されていたようですが御酒の蔵元と同じようにすべて無くなってしまいました。

 

 

 

 

沿線ガイドブックということで各地の名所、名刹を詳しく書いているだけではなく各地の産業や人口なども書いており、当時の地誌を知る上でも貴重な資料になっています。

例えば当時の沿線主要都市の人口などは下記の通りです。

大阪市 戸数10万戸以上 人口30万人以上

堺市 戸数9、356戸 人口47、205人

岸和田市 戸数2、822戸 人口17、154人

和歌山市 戸数13,292戸 人口55,313人

さて、この南海鉄道案内は沿線各地のことを詳しく著しています。もちろん著者が南海沿線を旅して書いたのですが当然のことながらすべてを見て回るのは不可能だったと思われます。そのために著者は江戸時代に書かれたある本を資料として使っています。その本は、1796年に発刊された「和泉名所図絵」(秋里籬嶋著、竹原朝斎絵)という本です。この本は、江戸時代の絵入りガイドブックといえるもので、和泉名所図絵以外ににも河内名所図絵、江戸名所図会など各地の名所を絵入りで紹介しています。
著者は和泉名所図絵を資料として使っていますが、部分的にはその内容をそのまま写している箇所もあります。いまならさしずめ盗用ということになり裁判沙汰になっているかもしれません。

本来ならみなさんに読んでくださいね、と言いたいところですが何分部数(原本、復刻版を含め)が少ないために中々みなさんに見ていただくことは難しいかもしれません。図書館等にあれば閲覧は可能だと思いますが、原本となると希少本となるた閲覧不可の可能性もあります。(堺市中央図書館には原本がありますが現在閲覧はできません。)
もし閲覧できる機会がありましたら是非読んでください。損はないと思います。

最後に下巻の表紙絵と口絵の美人図を載せておきます。
表紙絵は、和歌の浦ですが美人図の方は現時点おいて場所がわかりません。絵からみて海岸周辺というのはわかりますが・・・・

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